SSブログ

歴史は楽しくない? [お仕事関連(教育)]

私は、歴史が好きだ。
しかし、子どもたちの話を聞いていると、歴史や地理などの社会科が嫌いという意見が多い。

教科書や、ワーク集を見させてもらったが、やはり暗記ものが多く、他の先生たちの指導も、とにかく暗記しろという指示がほとんどだそうだ。
中でも、「歴史は暗記科目だ。受験生の本気度が一番示される教科だ。」と公言してはばからない先生もいる。

たしかに、最終的には暗記なのだが、もっと楽しく学習することはできないのだろうか。

はじめに私は歴史が好きだと言ったのだが、それぞれの時代をストーリーとして覚えたからというのが、あるかもしれない。

先日、中学生に、奈良・平安時代の話を少ししてみた。
最初の方では、あまり楽しそうではなかったが、桓武天皇と早良親王の関係を中心に、早良親王が怨霊となった事件を交えたところ、とても面白かったと感想をくれたのだ。

平安京の前の都は?という質問に対し、子どもたちは、平城京!と期待通りの答えを出してくれた。
実は、平安京と平城京の間に、長岡京が10年間ほど挟まっているのだが、これが載っている教科書は、あまり多くないようだ。

桓武天皇が平城京から長岡京へ遷都した理由は、教科書通りでも説明がつく。
仏教勢力が政治へ介入するようになったため。というのが、答えとされている。

では、長岡京から平安京へ遷都した理由は?となると、説明がつかないのだ。
教科書では、藤原種継が暗殺されたためとされているが、工事責任者一人が暗殺されただけで、10年しか機能していない都をすてる原因になりうるのであろうか。

そこで、早良親王である。
早良親王は、藤原種継暗殺の首謀者の一人とされ、重い処罰を科せられた。
食事を絶ち抗議したが、結局淡路島へ移送中に亡くなっている。

その後、桓武天皇の周辺で、たとえば近親者が次々と亡くなったり、疫病が流行したり、天変地異が発生したりしている。
これを当時の人たちは、「早良親王の祟りではないか」と真剣に思っていたのである。
平安の怨霊、早良親王の誕生だ。

科学的に証明できない怨霊の話は、とても教科書に書けるものではないだろうが、当時の人たちは真剣に悩み、信じていた。
そして、長岡京から平安京へ遷都した理由も、怨霊の祟りを恐れたためというのが、歴史学会での通説なのだそうだ。

平安京は、こうした怨霊対策がとてもしっかりしている都である。
四神相応の土地に建てたのはもちろん、鬼門封じもしっかり行っている。
延暦寺であったり、東寺(教王護国寺)西寺などが有名だろうか。

少々長くなってしまったが、ここまで掘り下げると、とても面白くなってこないだろうか。

最終的には覚えるのは変わらないが、覚えるまでの道筋を少しかえてあげるだけで、相当楽しくなるのが歴史ではないかと、思うのであった。

※怨霊の話は、余談として話した。



タグ:歴史 学習
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。