MMOと縛りプレイ [ドラゴンクエストX]
多くの人が一堂に会し、同じゲームを遊ぶMMOという世界がある。
FF11や14であったり、いま私が遊んでいるDQXなどもその一つだ。
FF系のMMOは、運営が意図した遊び方をなぞらされるというと語弊があるかもしれないが、ある程度攻略法が決まっていて、その通りに動くとクリアできるという、いわば数学的な楽しみ方を提供するゲームだったように感じた。
対してDQXは初心者でも簡単に遊べて、ソロでも他の冒険者のキャラクターをレンタルすることである程度シナリオやボスを倒すことができる。
プレイヤーが生み出した攻略法を容認する形で発展してきたゲームだと思う。
FFが理系なら、DQは文系と言っていいかもしれない。
先ほどDQXは文系だと書いたが、それは必ずしも運営の意図した方法でクリアしなくてもよいという意味でその言葉を借りてみた。
運営は遊び場を提供し、デバッグの際に最適な攻略法も考えてリリースしている。
その答えを求めてプレイヤーは試行錯誤するのだが、その答えは必ずしも一つではないのだ。
DQには、様々な遊びを容認する懐の深さがあった。
アップデートも、プレイヤーが考え出した遊びを不具合として潰すのではなく、むしろその遊び方をよりやりやすくしてしまうパッチを当ててくることもある。
それがDQの文化なのだと解釈していた。
しかし、最近のアップデートや提案広場におけるプレイヤーの考え方が、変わってきてしまっているのかと感じる出来事がいくつかあった。
私のフレンドが書いた日誌でそれに気づいたのだが、どうも縛りがきつくなりすぎていないかと感じてしまうのだ。
ある程度やりこむと、コツもつかめていろいろな方法でクリアできるようになる。
たとえば、魔法攻撃で倒していたボスを、今回は物理構成で倒してみようとか、完璧な編成でなく、偏った編成で遊んでみようとか、プレイヤーが自らの行動を縛る、いわゆる縛りプレイでより達成感を楽しもうという遊びである。
もちろん、悪いことではない。ゲームなのだから、様々な遊び方が存在していいはずだ。
しかし、それは自分たちが自らに課した縛りであるべきであり、この遊び方でしかクリアできませんと提供されるべきものではない。
昔、FFは遊びではないという言葉があったが、DQにおいても遊びではなくなってきている人が増えているのではないだろうか。
提案広場を覗いてみても、シナリオを簡単にクリアできて達成感があるのかといった趣旨の書き込みを見るが、達成感という極めて個人的な感覚を強要してしまうのはどうかと思う。
今まで培ってきたDQの文化を否定する言動ではないだろうか。
たとえば、シナリオの難易度を選べるようにされたのだが、いわゆる上級者がそれでは満足しなくなり、もっと強い敵を出して欲しいとか、シナリオを簡単にクリアできないようにして欲しいとか、そういう意見が上がり始めたのだ。
その意見が採用されたのか、今回のアップデートでは、新シナリオは最高難度しか選べないようになった。
ほかにも、DQを知り尽くしたプレイヤーしかクリアできない強敵を出現させて、そこでしか手に入らないアイテムを出すなどもその一つだ。
当然MMOなので、上級プレイヤーのみに許された遊びがあってもいいと思う。
運営的にそういったエンドコンテンツが必要なのはわかる。
だが、それはDQの文化としてありなのかどうなのかをしっかりと考えて欲しかった。
脇道としてエンドコンテンツを配置し、とても強い敵を配置したのでぜひ挑戦してみてね!なら、別にかまわなかった。
DQはあくまで遊びであって欲しい。
多種多様な遊び方を許してくれる、ゆるい世界であって欲しい。
楽しさは人によって感じ方が様々だ。
それは押しつけられるものではない。
自分で楽しさを追求する。
そこがこのゲームのいいところであったように思っていたのだが。
それが変わってきてしまっているのだとしたら、プレイヤーの一人として、少し残念に思えてならない。
ゲームとは、エンターテインメントとはなにか、ぜひ一度考えていただきたいと思う。
FF11や14であったり、いま私が遊んでいるDQXなどもその一つだ。
FF系のMMOは、運営が意図した遊び方をなぞらされるというと語弊があるかもしれないが、ある程度攻略法が決まっていて、その通りに動くとクリアできるという、いわば数学的な楽しみ方を提供するゲームだったように感じた。
対してDQXは初心者でも簡単に遊べて、ソロでも他の冒険者のキャラクターをレンタルすることである程度シナリオやボスを倒すことができる。
プレイヤーが生み出した攻略法を容認する形で発展してきたゲームだと思う。
FFが理系なら、DQは文系と言っていいかもしれない。
先ほどDQXは文系だと書いたが、それは必ずしも運営の意図した方法でクリアしなくてもよいという意味でその言葉を借りてみた。
運営は遊び場を提供し、デバッグの際に最適な攻略法も考えてリリースしている。
その答えを求めてプレイヤーは試行錯誤するのだが、その答えは必ずしも一つではないのだ。
DQには、様々な遊びを容認する懐の深さがあった。
アップデートも、プレイヤーが考え出した遊びを不具合として潰すのではなく、むしろその遊び方をよりやりやすくしてしまうパッチを当ててくることもある。
それがDQの文化なのだと解釈していた。
しかし、最近のアップデートや提案広場におけるプレイヤーの考え方が、変わってきてしまっているのかと感じる出来事がいくつかあった。
私のフレンドが書いた日誌でそれに気づいたのだが、どうも縛りがきつくなりすぎていないかと感じてしまうのだ。
ある程度やりこむと、コツもつかめていろいろな方法でクリアできるようになる。
たとえば、魔法攻撃で倒していたボスを、今回は物理構成で倒してみようとか、完璧な編成でなく、偏った編成で遊んでみようとか、プレイヤーが自らの行動を縛る、いわゆる縛りプレイでより達成感を楽しもうという遊びである。
もちろん、悪いことではない。ゲームなのだから、様々な遊び方が存在していいはずだ。
しかし、それは自分たちが自らに課した縛りであるべきであり、この遊び方でしかクリアできませんと提供されるべきものではない。
昔、FFは遊びではないという言葉があったが、DQにおいても遊びではなくなってきている人が増えているのではないだろうか。
提案広場を覗いてみても、シナリオを簡単にクリアできて達成感があるのかといった趣旨の書き込みを見るが、達成感という極めて個人的な感覚を強要してしまうのはどうかと思う。
今まで培ってきたDQの文化を否定する言動ではないだろうか。
たとえば、シナリオの難易度を選べるようにされたのだが、いわゆる上級者がそれでは満足しなくなり、もっと強い敵を出して欲しいとか、シナリオを簡単にクリアできないようにして欲しいとか、そういう意見が上がり始めたのだ。
その意見が採用されたのか、今回のアップデートでは、新シナリオは最高難度しか選べないようになった。
ほかにも、DQを知り尽くしたプレイヤーしかクリアできない強敵を出現させて、そこでしか手に入らないアイテムを出すなどもその一つだ。
当然MMOなので、上級プレイヤーのみに許された遊びがあってもいいと思う。
運営的にそういったエンドコンテンツが必要なのはわかる。
だが、それはDQの文化としてありなのかどうなのかをしっかりと考えて欲しかった。
脇道としてエンドコンテンツを配置し、とても強い敵を配置したのでぜひ挑戦してみてね!なら、別にかまわなかった。
DQはあくまで遊びであって欲しい。
多種多様な遊び方を許してくれる、ゆるい世界であって欲しい。
楽しさは人によって感じ方が様々だ。
それは押しつけられるものではない。
自分で楽しさを追求する。
そこがこのゲームのいいところであったように思っていたのだが。
それが変わってきてしまっているのだとしたら、プレイヤーの一人として、少し残念に思えてならない。
ゲームとは、エンターテインメントとはなにか、ぜひ一度考えていただきたいと思う。
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