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あたりまえってなんだろう [雑記]

みなさんはこんな求人をみたことはないだろうか。

「明るく元気な方募集します」

募集した側は、これならだれでも応募できるだろうという目算なのかもしれない。
しかし、元気なのはあたりまえではないことを、私は知っている。

私は十数年、病気で苦しんできた。
元気なのはあたりまえではないのだ。
簡単なアルバイトですら、応募できないのだ。

元気なのは、健康なのはあたりまえだというのは、健康な人の発想だ。
私も病気になる前は健康に気を使ったことすらなかった。
元気でないことのつらさなど、思ったこともなかった。

健康のすばらしさは健康でなくなってはじめて気づくものなのだ。

幸いなことに、私はいろいろな人と出会って多少元気になることができた。
新しい仕事にも就くことができた。
体が動くってすばらしいことだ。

ほかにも、当事者でないとわからないあたりまえではないことが世の中にはあふれている。
気にしないでいると気づかないあたりまえと思われていることはたくさんあるのだ。

だからといって、すべてに配慮しろと言いたいわけではない。
ただ、そういう人もいるのだということを少しだけ頭の隅に置いておいてほしいのだ。
世の中のあたりまえに苦しんでいる人に少しだけ目を向けてほしいのだ。

そういう人は一般的に障がい者と呼ばれている。
病名によって大まかな症状はわかるが、障がいの度合いやどんな症状が出るのかは人それぞれだ。一概にひとくくりにはできない。

障がい者の側は、自分にどんな障がいがあり、どんな配慮が必要なのか自分で説明できるようにならないといけないと思う。
人それぞれに症状が違い、配慮してほしい事柄も違うからだ。
それができるようになるには、障がい者自身が自分と向き合って自分がどんな人間なのか振り返らなければならない。これはとてもつらいことだ。
しかし、過去があっての今の自分なのだから、自分を受け入れるためにも過去を振り返り、何がつらいのか、何に配慮してほしいのか向き合わなくてはならない。
それを乗り越えなければ、社会復帰できないと思う。

私も一年ほど就労支援施設に通った。
そこで、いろいろな症状のある方たちと一緒に訓練をしてきた。
十何年か前に職場復帰プログラムを受けたことがあったが、その時はなぜこんなことをするのか、効果や目的がわからず結局その職場は退職せざるを得なかった。

目的を知るということはとても大事なことだ。
目的を知るということは、その効果を信じることだと思う。
信じることができなければ、どんな効果的な訓練であっても受け入れることはできないだろう。私も実際そうだった。

目的を考え、信じ、受け入れることで効果は上がるのである。

話がずれた。

今回言いたかったことは「あたりまえ」とは何かということだった。
みなさんが感じているあたりまえは、あたりまえではない。
できない人もいることを知ってほしかったのだ。
もし、そばに「あたりまえ」ができない人がいたら、その背景を考えてほしい。
もしくは、どうしたら「あたりまえ」ができるようになるか聞いてほしい。
障がいのある人は、聞かれたときに答えられるように自分と向き合ってほしい。

両者の溝が埋まった時、はじめて配慮がなされたと言えるのではないだろうか。

そして、障がいがある人もない人も幸せに過ごせるようになることを祈るのである。
それが「やさしさ」なのではないだろうか。

私は、十数年の病を抱えたままだが、就職することができた。
会社には配慮してほしいことを伝え、実際に配慮してもらいながら働いている。
「あたりまえ」のことが「あたりまえ」のようにできることのなんとすばらしいことか。

体調に気をつけ、今度はくじけないように働いて生活していきたいと思う今日この頃である。


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