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教材研究と指導原稿 [お仕事関連(教育)]

塾でも学校でもそうだが、やはり事前準備は大事だ。

準備9割、授業1割と言ってしまってもいいくらいだ。
いままでは、略式の指導案は書いていたが、ブランクの長さと、体に染みついた45分間隔とが原因か、きれいに授業時間を使い切ることができないでいた。

学校では、1コマ45分なのだが、塾では60分だったり80分だったり90分だったりするのだ。
しかも、学校では1週間かけてじっくり指導するところが、塾では1コマで1単元進めなければならない事がほとんどだ。
なので、しっかり準備しておかなければ、時間中に終わらせることができないのだ。
特に私の場合、問題を見てぱっと答えが出せるわけではないので、余計になのだ。

なので、最近は略式の指導案ではなく、私が発言する事や板書すること、ノートに書かせることまで、全部打ち込んで、台本とも言えるような、指導原稿を作るようになった。

ありがたいことに、私が受け持っている授業は、週の真ん中から後半にかけて埋まっているので、休みの日に1週間分の準備ができる。
遊ぶことができないが、それでも準備してしまえば、授業が始まっても気が楽である。

しかし、中学生の授業は、いままでどうもうまく進めることができなかった。
指導案を用意していっても、時間がうまく使えなかったのだ。
しかも、扱う内容が難しく、わかりやすく解説した上に、少しでも楽しい授業にするには至っていなかった。
特に国語である。
子どもたちは、優秀なので、文章を読ませて、回答させると正解を出してくれていた。
しかし、私の方が解説しようとすると、どうもわかりやすくとはいかなかった。

なので、ここ最近は国語の指導法をなんとかしようと、足掻いていたのだ。

そこで、基本に立ち返り、国語のテキストをしっかりと読み込むようにしてみた。
読んでみると、この文章が案外面白い。
椎名誠の随筆文なんて、よく読んでおけば、かなり話を広げられそうではないか。
いままで、駆け足で問題を解いてしまっていたのが、もったいなく感じるようになった。

やはり、教材研究は大事だ。
いままでも、文章を読んで、問題を解くくらいはしていたのだが、それでは全然足りなかった。
もったいない。

中学生のテキストには、考え方の補足や、順番に理解していけるような丁寧なテキストにはなっていない。
演習とあるためか、実戦的な問題が多いのだ。

そこで、自分である程度咀嚼して、回答集の解説をもとに、指導原稿を書いてみた。
全部で2つ文章があるのだが、1つめでA4用紙4枚になってしまった。
こんなに、内容が詰まっていたのかと、教材研究の大事さを知ったのだった。

もっと授業に慣れてくれば、略式でも授業ができるようになるのだろうが、いまはまだその領域には達していない。

やはり、一回言いたいことを全部文章にするというのは、イメージトレーニングにもなるし、あとから見返すときにも便利だ。
書くのが大変だか、後々自分の財産になるので、ここですっ飛ばしてしまってはもったいない。
一度パターンが作れれば、同じように授業を組み立てられるだろう。
いまはまだ、自分流のフォーマットを作る段階なのだ。
そういうことが、ここ一ヶ月くらいでようやくわかってきた。

準備は大切だ。じっくりと教材に向き合ってみて、やっとわかったような気になった。
あとは、実践してみて、フィードバックして、指導に反映させる。
これを繰り返して、実力を付けていきたい。

そして、生徒・児童につまらない顔をさせないような授業をしたいと思うのだった。




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なぜ課題を提出することができないのか [お仕事関連(教育)]

学校でも塾でも同じだと思うが、子どもは結構な量の宿題が課されている。
今の勤め先でも、それは同じだ。
宿題を出す意義としては、自宅に戻ってからも、学習する習慣をつけるためと、授業で学習した内容を身につけるためである。
宿題は、自立学習するための大事なアイテムなのである。

個別指導では、その子の能力や、他の習い事の日程を考慮して宿題を出し、どの日で学習するのか、教師側が指導するという対応をとっている。

しかし、中には宿題を提出することができない子もいる。
これは、本人のやる気がないのか、それとも能力的に難しいのか、はたまた家庭の事情があるとか、理由はいくつか考えられる。

そこで、なぜ宿題が提出できなかったのかを、聞き取る必要が出てくるのだ。

いくつか理由が考えられるので、箇条書きにしてみよう。
・その子の能力を超えた宿題を出してしまい、全く理解できていない。
・家に帰っても、静かに学習できる環境にない。
・問題の量や内容をみて、やる気をなくしている。
といったあたりが考えられる。

ここで、子どもにとってどうしようもできないのは、最初のその子の能力を超えた宿題であろう。
他の項目は、家庭で相談して静かな環境を作ってもらうか、もしくは、塾の自習室を利用するか。といったあたりが解決策となろう。

宿題を忘れましたと言われたら、なんらかの方法で理由を聞く必要がある。
(もし、時間に余裕があるなら)言葉を交わし、聞き取るのが一番早いと思う。
やったけど、忘れましたと言われたら、テストしてみるのも確認の方法としてありなのではないか。

宿題を課されたのに、やってこないときは、何らかの背景があるとみて、ほぼ間違いが無いように思える。

自習室では、わからない問題があったら先生に相談しなさい。と私の勤め先では指導されている。
自分の力で解決できないとき、先生にヒントをもらったり、他のわかりやすい例題を出してもらったり、様々な解決方法があるだろう。

だが、自尊心の強い子は、あまり質問しに来たがらない。
恥ずかしいと思っているのだろうか。
聞くは一時の恥聞かぬは一生の恥とはいうが、質問することが恥と思う子どもも少なからずいるだろう。
そういう子には、こちらから声をかけてあげる必要があると最近思い始めた。

また、その学年相応の学力をもたない子も存在する。
そのような子ほど、目をかけてあげる必要があると、私は考えている。

大きく脱線した気がするが、話を元に戻そう。

学年相応の能力に満たない子どもに、いくら怒鳴りつけても、発憤して宿題をやるという気にさせることはできないだろう。
だって、わからないのだから。
おそらく、自分がどこからわからなくなったのか、それすらもわかっていないと思う。

こういう子をすくい上げてあげるには、どうしたらいいのだろうか。

集団授業でも、お客様状態だろうし、自習室でも教科書を開いただけで、悩み続けている可能性がある。

とすれば、すくい上げてあげるには、授業のない日に教室へ呼んで、低学年の内容からやり直してあげるしかない。
学校の先生とも情報共有してもいいだろう。

そして、何より大事なのは、普段の授業の様子で、よくわかっていないとか、計算が進まないのを見てどの学年の内容で躓いているのかとか見抜く必要があるということだ。

わからないのは罪。そう考える人が塾では多いように思う。
しかし、逆に言えば、わかるように教えなかった教師陣の方にも責任はある。

塾でも教室でも同じと思うが、躓いたところを放っておいて、先に進んでいないだろうか。
わからなかった子には、それなりにフォローしてあげなければならない。
そこは、やる気云々の精神論ではなく、どう指導すれば理解ができるのかを教師側も考えなくてはならないだろう。

そして、先生の側もどこで躓いているのかをよく観察して欲しい。
どうしてこうなるまで放っておいたのだ!とならないうちに手を打つべきだろう。

まずは、責任者への報告。
他の職員との連携。
家庭での様子の聞き取りと協力。

子どもを預かった以上、その子を潰してしまっては何にもならない。
わかった時点で、すぐに手を打つのだ。
もう12月である。
いまさら、泣くまで怒鳴っても、もはやどうにもならない。

しかし、まだやり直せる時間があるなら、土曜日あたりに呼んで個別に教えるのが、効果的ではないだろうか。

塾の先生は「その子の成績を伸ばしてあげる」のが、良い教師らしいが、私はやはりそれだけではいけないと感じている。
そこに通ってくる子どもたちには、学校の先生と塾の先生、どちらも同じだ。
教育とは、指導とは、それぞれの教師が考えておく必要があろう。
私は、先生とは「その子の人生と将来に強い影響力をもつもの」短くまとめれば、こういう答えであってほしい。

相当長くなってしまったが、まとめると、
○宿題の提出ができない生徒・児童には、理由がある。
○能力を超えた宿題は、解けない。
○異変に気づいたら、情報を共有する。
○指導の仕方を改めてみる。

こんなところだろうか。

せめて、泣かせて帰すのではなく、笑顔で帰らせてあげたいと思うのだった。




タグ:宿題 教育
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がんばる [お仕事関連(教育)]

いきなりだが、私は「がんばれ」という言葉は、あまり好きではない。

もっとがんばれば、さらに上が狙える。
せっかちな大人は、こう思ってしまう。
だが、たとえば、もう過去最高くらいにがんばって、やっと出した結果だったとしたら、あなたはどう思うだろうか。

すごくがんばって、テストの点数が前より良かった!なんて日はもう、るんるん気分で家に帰るだろう。

でも、そこで、テストの点数は上がったが、順位はあまり変わってないじゃないか!
もっとがんばれよ!とか、言われちゃった日には、褒めてもらえると思っていた分だけショックも大きい。

みんなより早く教室に来て、勉強しているが、それでも他の子とレベル差がある子がいたとしよう。
よくわからないから、宿題も出せない。
宿題を出せないので、先生からは怒られる。
それでもめげずに、教室に来る彼は立派だと思う。
本人はすごくがんばっているように見える。
成績が伸びないだけで。

そんな彼が満面な笑みで、教室に入ってきて、○○先生いますか?と聞いてきた。
担当の先生である。
(さては、宿題をきちんとやってきたな)と私は察した。
でも、担当の先生は、宿題をやってくるのは当たり前です。と言い褒めてはくれなかった。
ちょっとしょんぼりする彼。

ちょっとでも褒めてあげたらいいのに。私は内心そう思ってしまった。
甘いかな。

でも、その子にとっては、宿題をバッチリやってきたというのは、すごくがんばった成果なのではなかろうか。

私は、当たり前を褒めるようになった。

宿題を出した。とか、早めに教室に来て、前の時間の振り返りを自主的にやっているとか。

みんながそれをはじめて、当たり前と感じるようになったら、褒めなくなってもいいと思う。
そういう関係性ができあがったからだ。

ただ、いままで宿題が解けなかったのに、ある日全部やってきたら、その努力を褒めてあげたい。
がんばったからだ。

がんばれという言葉は好きじゃない。
たいていの人は、だいたいがんばっている。
がんばったのに、評価されないっていうのは、かなり悲しいことだ。

その子のレベルに合わせて、努力のあとがうかがえたなら、存分に褒めてあげようと思う。
それが、モチベーションのアップに繋がるのではないか。

ただ、よくがんばったね!えらいね!と褒めた後、じゃあ、次はもっとがんばろう!
これは、後半が蛇足に思えてならない。
がんばってやってきたなら、褒めるだけでいいと思う。
次のことは、別のときに言えば良いだけのことだ。
せっかちさんになってしまわないように、気をつけたい。

結局は、一人一人よく観察して、上手に褒めてあげることができるのがいいのではないだろうか。

人間悪いところはすぐ見つかるが、いいところを見つけるのはちょっと大変。
でも、いいところを探した方が、なんだか気分がいい。

今後もできる限り、一人一人のいいところを探そうと思う。
もちろん、悪いところは修正してあげなくてはいけないが。
そこでも、普段の観察と教師の理解がなくてはならない。

つまり、一人一人よく見て、把握しましょうね。ということに尽きるのであった。



タグ:褒める 教育
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三日前行動 [お仕事関連(教育)]

中学・高校生のみなさんは、学校の試験も終わり、ほっと一息ついている頃でしょうか。
私の勤め先でも、テスト対策期間が終わり、通常運転になりました。

テスト対策中に話した話題が、今日のテーマです。

私もそうでしたが、学生時代、試験が目前に迫ってこないとやる気スイッチが入らないタイプの子でした。
当然、成績は平均的。

教える立場になってからわかったことですが、一夜漬けは効果が薄いのです。
テストは切り抜けられるでしょうが、テストが終わると、頭の中がからっぽなんてこともしばしな。

一説によると、人間がものを覚えて定着するまでには、三日かかるそうです。
そして、それは、寝ている間に記憶の整理が行われ、必要な情報が頭の中にインプットされるらしいのです。

つまり、成績を上げたい方は、三日前までに試験範囲の勉強を終わらせないと、本気が出せないのです。
そこで、必要になるスキルが、自分の学習スケジュールを立てること。
試験の日から逆算して、三日前に勉強が終わるようにしなくてはなりません。

もう一つ重要なポイントは、ずばり寝ること!
これです。

どんなに徹夜して詰め込んでも、朝の太陽が黄色く見えるようでは、勉強したことも思い出せません。

スケジュールを立てるということは、大人になってからも使えるというか、必須スキルなのです。

これから、受験が控えていて、猛勉強中の方もいるでしょう。
そういう方にこそ、学習スケジュールを立てて臨んで欲しいですね。

まとめると、
1、スケジュールを立て、試験の三日前までに勉強をすべて終わらせておくこと。
2、試験前日は、ノートを見て確認する程度にしておいて、しっかりと寝ること。
3、朝ご飯はしっかり摂ること。

朝に食事をすることは、とても大事です。できれば、米がいいでしょう。
脳が必要としている栄養分は、糖分ですので、パン食よりは米の方がいいのです。

そろそろ、テスト結果が返ってくる時期ですが、みんな点取れたかなあ。
今度、担当している子に聞いてみようかな。



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きっかけは何でもいい [お仕事関連(教育)]

これは、私の持論なのだが、子どもは面白いことを見つける嗅覚のようなものがある。

その時代によって、子どもの間で流行るものは違うのだが、どの時期でも、これが面白いと思ったものは、流行する。

私の小・中学の頃は、ファミリーコンピュータ(ファミコン)が大流行していた。
その少し前は、ビックリマンシールだったし、その少し後はポケモンや遊戯王カードが流行っていた記憶がある。

流行ったものの中を、よく見て欲しいのだが、どれも対戦や交換が可能なものなのだ。

わかりやすいところでは、ポケモンを例にしてみると、納得いく方が多いのではないだろうか。
自分の好きなポケモンを集め、育て、最終的には友だちと対戦する。
あの頃の子どもたちはポケモンの育成や対戦、そして相手の出してくるカードに対する読みが勝負の分かれ目だった。

一生懸命、自分や相手のデッキを考えて、パーティを構築した事のある方も少なからずいるだろう。

ゲームは、大事なコミュニケーションツールである。

囲碁や将棋の対戦を見ていると、勝負が決した後に振り返りをしているのを見たことがある方はいるだろうか。
囲碁や将棋を嗜む方はわかるだろうが、彼らは一手一手覚えており、どこで戦局が変わったのか、すべて覚えている。

子どもたちもそうである。
ゲームの対戦とはいっても、あそこで○○を出したのは失敗だったとか、うまく読み勝ちできたとか、そういうのを覚えている。

つまりそれは、ゲームにより、脳が活性化している状態だと言えるのではないだろうか。

これを学習意欲の向上に役立てられないだろうか。

それが私の研究テーマだ。

学習意欲の向上を促すことのできるソフトは、まずひとつに歴史を扱ったゲームがあるだろう。
光栄が、昔よく出していた歴史シミュレーションゲームだ。
あれは、史実通りに進めていくと、いろいろなイベントが発生する。
本能寺の変を起こすには、しっかりと史実通りに各武将を配置しなければならない。
かなり難しめのイベントだ。
これはかなり調べないと発生させることができない。

ここから、歴史を好きになるといった子どもは、とても多かったように記憶している。

他にも、ゲームはストーリーテラーとしての役割ももっている。
RPGなどはまさにそれで、インタラクティブで、楽しい物語体験をすることができる。

人気のあるソフトほどプレイヤー人口が多いので、学校や遊びの場で情報交換して、友だちと盛り上がる事もできる。

今回はゲームのことばかり挙げているのだが、実は学習との結び付けができるのは、ゲームだけではない。

小説だっていいし、マンガだって当然いい。

個人ごとに、楽しいことの基準が違うのだから、ゲームで盛り上がれなくても、他の小説の方では盛り上がれるなど、いろいろな展開が考えられる。

最近では、小説といっても、もっとやさしく読みやすいライトノベルなんてものもある。

全部を把握することは難しいし、個別の対応になってしまうかもしれないが、その子がいま、何に興味をもっているのか、知ることができれば、学習への導入は難しいことではない。

普段から、子どもたちの様子をうかがい、理解を深めていくことで、いろいろな方面からアプローチが可能だろう。

つまり、学習への入り口は、何でもいいのである。

大事なのは、受け入れることなのではないだろうか。

好きなものを受け入れられれば、子どもも好感をもつだろうし、好きなものを絡めて説明をすると、当然食いつきはいい。

教師は、テキストの研究ももちろん大事だが、生徒・児童とのコミュニケーションをもち、何に興味を抱いているのか、観察することも大事な事と思う。

ただし、教室でこれを実践しようとして、教室内ルールが破られてしまっては元も子もないので、そこだけには注意したい。

ルールを決めて、遊びと学びを両立させる。これが、私の理想である。




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笑顔 [お仕事関連(教育)]

先日、歯医者へ行ってきた。

歯医者の待合室では、緊張した表情をしている人が多い。
それはそうだ。これから痛い思いをするかもしれない。
最近は麻酔をかけてくれることが多いが、それでも神経に障れば飛び上がるような痛さだ。
緊張するのも、ムリはない。

今は若い先生に代わってしまったが、以前は教授クラスの先生が診察してくれていた。(大学付属の病院なのだ)
大学付属の病院ということで、実習中の学生も、アシスタントとして入り、いろいろ手伝いながら、勉強している。

教授先生は、ときどき学生を呼んで、いろいろと問題を出していた。
私は生きた教材といったところだった。

でも、大学病院は、儲けようという気があまりないのか、大変安い。
だいたい保険のきく治療で済ませてくれる。
先生の腕もよかった。
なので、今でもそこの歯医者に通っているのだ。

言いたいこととずいぶん離れてしまった。
待合室での話に戻ろう。

待合室で待っていると、そこに先生が患者を迎えに来るのだが、そのとき教授先生は、満面の笑みで迎えてくれるのだ。
ニコーっとやさしい感じのする、患者の心配なんて打ち消してくれるような、そんな満開のほほえみ。
これが、患者の側からすると、かなり緊張がほぐれる、いい笑顔なのだ。

これを思い出して、個別学習の子どもが来たときに、私もほほえんで迎えてみることにした。
いま担当している子は、勉強もできるしいい子なのだが、ちょっとした事情があり、前の先生から私が引き継いだ子なのだ。

時間ぴったりにやってきたその子に、ほほえんで迎えてみた。


「先生、顔が引きつっているよ。」


・・・鏡の前で、笑う練習をする必要がありそうだ。



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先生だって万能じゃない [お仕事関連(教育)]

塾という場所柄か、自習室から子どもが出てきて、先生に質問するという場面をよく見かける。

他の先生は、すらすらと答えが出せるのだが、私はそこまで何でも知っているわけでもないので、肩身が狭い思いをしていた。

しかし、わからなければ先生に聞けば解決するという姿勢は、子どもにとっていいのだろうかと最近思うようになった。

こちらとしても前もって質問してくれていれば、回答を用意することはできる。
できるのだが、全部答えを教えてしまってもいいのだろうか。

自分で調べることも、立派な学習だ。

今は、ネットが発達し、GOOGLEなりYahooなりで調べれば、簡単に答えが見つかるだろう。
ネットの海は膨大だと、草薙素子も言っていたが、まさに集合知のすごさを垣間見ることができる。

わからなければ、他の人に聞けばいい。
この考えは子どもの学力を伸ばすことに繋がっているのだろうか。
聞かれた方は、なんとなくウレシイし、頼られた感があるだろうが、知っていることを全部教えてしまっては、その子の自立した学習の機会を奪ってしまう事になる。

だから、私は安易に答えを教えることは、やめるようにした。

先生だって万能じゃない。わからないことだってあるのだ。

この先、自分で学ばなければならないときがあるだろう。
そのときに、頼れる先生はいないのだ。
どんなときでも、なんとか自分で調べ、考えられるような人間にする。
これが、教育のあるべき姿ではないのだろうか。

なので、今度から子どもたちにはこう言おうと思う。

「自分で調べた方がはやいんじゃね?と気づいた人は、天才です。」と。



タグ:自立 学習 教育
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指導案ならぬ指導原稿 [お仕事関連(教育)]

最近になって、また人にものを教える仕事に就いたのですが、どうもうまく授業が進められないことがたまにありまして、ちょっと困っておりました。

もちろん、教材研究をして、指導案も書いて授業に臨むわけですが、たまになにを言ったらいいのか、こうスポーンと頭から抜けてしまうこともしばしば・・・

毎回、なかなか納得のいく授業ができないナーと思う事が多かったです。

なので、今回は、いっそもう全部言うことを順番に書き出して、原稿を作っていった方がいいんじゃね!?みたいな気がしたので、やってみました。

どのようなものかと言いますと、こんな感じです。


単元名:分数のたし算ひき算

ポイント① 分母が同じの場合、分子だけを足したり、引いたりします。
では、さっそく例題1を見てみましょう。

<例題を板書する>

考え方のところを見てください。
分母が同じ数になっていますね。ということは、分子だけを足したり、引いたりします。
答えが仮分数になった場合は、前回で勉強したように、帯分数になおします。

<例題を説明しながら解く>

では、確認問題1を(1)から(6)まで計算してみましょう。

<答え合わせ>

こんな感じ。

本当は子どもの発言を予想して、それに対応する援助のしかたも書き込むといいのですが、研究授業というわけでもないので、教師が話すことを主に書いていきました。

丁度分数の単元だったので、Wordを使って分数の挿入の仕方を覚えることができました。(ry

この原稿というか、台本?を書いていったおかげなのか、今回はかなりスムーズに授業を進められたと思います。

これのいいところは、次にどういうことを話せばいいのか、あらかじめ用意してあるので、そんなに慌てることなく授業が進められ、子どものノートの取り方をみたり、顔を見て反応をみたりすることができました。

昔やっていたとはいえ、かなり長いブランクがあるので、初心に返ってしばらくは指導案ならぬ指導原稿を書いてから、授業をするようにしようと思ったのでした。




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歴史は楽しくない? [お仕事関連(教育)]

私は、歴史が好きだ。
しかし、子どもたちの話を聞いていると、歴史や地理などの社会科が嫌いという意見が多い。

教科書や、ワーク集を見させてもらったが、やはり暗記ものが多く、他の先生たちの指導も、とにかく暗記しろという指示がほとんどだそうだ。
中でも、「歴史は暗記科目だ。受験生の本気度が一番示される教科だ。」と公言してはばからない先生もいる。

たしかに、最終的には暗記なのだが、もっと楽しく学習することはできないのだろうか。

はじめに私は歴史が好きだと言ったのだが、それぞれの時代をストーリーとして覚えたからというのが、あるかもしれない。

先日、中学生に、奈良・平安時代の話を少ししてみた。
最初の方では、あまり楽しそうではなかったが、桓武天皇と早良親王の関係を中心に、早良親王が怨霊となった事件を交えたところ、とても面白かったと感想をくれたのだ。

平安京の前の都は?という質問に対し、子どもたちは、平城京!と期待通りの答えを出してくれた。
実は、平安京と平城京の間に、長岡京が10年間ほど挟まっているのだが、これが載っている教科書は、あまり多くないようだ。

桓武天皇が平城京から長岡京へ遷都した理由は、教科書通りでも説明がつく。
仏教勢力が政治へ介入するようになったため。というのが、答えとされている。

では、長岡京から平安京へ遷都した理由は?となると、説明がつかないのだ。
教科書では、藤原種継が暗殺されたためとされているが、工事責任者一人が暗殺されただけで、10年しか機能していない都をすてる原因になりうるのであろうか。

そこで、早良親王である。
早良親王は、藤原種継暗殺の首謀者の一人とされ、重い処罰を科せられた。
食事を絶ち抗議したが、結局淡路島へ移送中に亡くなっている。

その後、桓武天皇の周辺で、たとえば近親者が次々と亡くなったり、疫病が流行したり、天変地異が発生したりしている。
これを当時の人たちは、「早良親王の祟りではないか」と真剣に思っていたのである。
平安の怨霊、早良親王の誕生だ。

科学的に証明できない怨霊の話は、とても教科書に書けるものではないだろうが、当時の人たちは真剣に悩み、信じていた。
そして、長岡京から平安京へ遷都した理由も、怨霊の祟りを恐れたためというのが、歴史学会での通説なのだそうだ。

平安京は、こうした怨霊対策がとてもしっかりしている都である。
四神相応の土地に建てたのはもちろん、鬼門封じもしっかり行っている。
延暦寺であったり、東寺(教王護国寺)西寺などが有名だろうか。

少々長くなってしまったが、ここまで掘り下げると、とても面白くなってこないだろうか。

最終的には覚えるのは変わらないが、覚えるまでの道筋を少しかえてあげるだけで、相当楽しくなるのが歴史ではないかと、思うのであった。

※怨霊の話は、余談として話した。



タグ:歴史 学習
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怒る?叱る? [お仕事関連(教育)]

今回は硬いお話をします。

子どもと接する際に、どうしても注意しないといけない場面ってのがあるんです。
学校用語では、そういうのを、「指導する」なんていいます。

そのとき、どういう風に接してあげたら、より効果的なのかなあというのを、考えていました。

たとえば、宿題をやってこなかった子どもに対して、「どうしてやってこないの!」と声を荒げても、あまり効果はありません。
逆に萎縮しちゃって、頭真っ白。よけいに答えられなくなってしまう子もいるでしょう。

もしかしたら、やんごとなき用事があったり、なにか事情があったりするかもしれません。
いきなり叱るよりも、私の場合は「なにかあったの?心配しちゃうよ」あたりの事を聞くようにしてます。

ここら辺は、ずいぶん前に苦い経験がありまして、声を荒げることが昔は多かったのです。
でも、大きな声で叱っても、子どもは(怒られた!)って思うだけなんです。
しかも、だんだん耐性が付いてきちゃって、聞く耳持たない状況になることもしばしば。

当然教室内は、先生の声だけでなく、子どもも声が大きくなり、そして、反抗的になっていきます。(実体験)

力で押さえつけようとしても、結局は無意味になっていくんですね。

普段から、静かに冷静に、ときにユーモアを交えながら、子どもと接していくと、信頼関係が結ばれていくのかなあと思います。

教室が静かなら、先生の声も小さくて済みますし、子どもも安心して授業に臨むことができるというものです。

最初の1~2ヶ月は、子どもも先生も手探り状態なので、落ち着いています。
子どもは、どこまで許されるのかというのを、試している状態なんです。
だから、甘くしすぎてもいけません。

ルールを明文化しておくのも、ひとつの手段でしょう。
お約束が徹底されているクラスは、それだけ子どもの態度も良く、授業も進みます。

今勤めているのは、某塾なので、そこら辺はしっかりしている子どもが多いので、助かっています。

何かがあったとき、頭ごなしに大声で怒るのは、逆効果。

事情を聞いて、冷静に「指導」したいものです。



怒る=感情的になってしまい、大きな声で怒鳴りつけること。
 指導とは言えません。

叱る=冷静に諭すように、そのこの問題行動を注意すること。
 子どもが、どこがどういけなかったのか、わかるように諭すことができれば、◎


これは、私の勝手な考えなので、他の区別もあると思います。

結局は、その子について、どこまで思えるのか、その一点なんじゃないでしょうか。

自戒も込めて。



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